インターラプト開発者ブログ

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コロナ禍と同時に起業した話

代表の高橋です。 色々と落ち着いてようやく会社ブログを書けるようになりました。 このブログでは初めての記事になります。

これまで個人でブログやQiitaでたくさんの記事を書いて来ましたが、このブログに集約していきたいと思います。

実ははてなブログなんです。

2008年ごろからはてなダイアリーで記事を書いてまして、その頃からはてなブログのユーザーでした。さまざまな記事を書いて、たまにバズったりすることもありました。

その時の経験から使い勝手に慣れていることもあり、ちょうど法人プランがでたことで使うことを決意。既にはてなのオウンドメディアというプランはありましたが、純粋な法人向けはてなブログとは違うらしく、要望で法人向けはてなブログをお手頃な価格帯で出して欲しいと思っていました。

それからたった数ヶ月後、なんとはてなは法人プランを出して来たのです!しかもサブディレクトリプランといって、サブドメインはてなブログを運用できるプランまであることを知りました。そして、執筆段階では、契約手続きが進んでいるところです。

この記事はiOSはてなブログアプリから書いているんですが、文字数もちょうどいいですし、クラッシュして落ちて書いた内容が消えることもないので、かなり良いです。ブラウザのようにエディタが拡大縮小することもないですからね。この体験が、2020年になり法人として、またできるようになったことは嬉しいことでした。

会社を立ち上げたきっかけ。

実はコロナ禍が来てから起業したのではなく、そのほんの数ヶ月前の事でした。

元々は「自分のプロダクトが欲しい」という思いがあって、いつかは自分のプロダクトとして成長を共にできるようなものを生み出し、もしくは出会いたかったと思っていました。しかし、それはなかなか叶うものではありません。

そもそもプロダクトの成功が難しいですし、時間がかかります。少しずつの積み重ねがプロダクトと、そして会社を大きくしていきます。しかし、いつかは終わりが来るというもので自分の意思とは関係なく終わってしまうことが多々ありました。

会社なので、それは当然ではあるのですがこれではいつまで経っても自分のプロダクトにで会うことは難しいと感じました。終わらせない、伸ばしたい、それには会社で一番偉い人になり、そのプロダクトの意思決定を全て握ることだと気づき、起業となりました。

そしてそのとき、ネット上にはたくさんの仲間が出来ていた。昔は学生同士でも、今ではビジネスパートナー。インターネットだって学校での出会いのように将来の繋がりへと昇華していくタイミングが到来していました。

会社をはじめて

会社を維持するには、まずお金が必要でした。今ではありがたいことにいくつかお仕事を頂き、会社を維持できておりますが、最初はかなりギリギリでした。もろもろの事務作業が莫大に残っていて、会社を維持しつつも、売り上げの発生しない煩雑とした作業をこなしていました。労働時間の計算、事務に避ける時間のコントロールがなかなかうまくいかず、エクセルシートに時間管理を行いバーンダウンチャートを書いて毎回確認していました。

誰かに聞いた「社長は手動かせなくなるよ」というのは本当でした。売上の発生する仕事の何%が、申請用紙や議事録を書くことに変えたのでしょうか。多い月だと50%はあったんじゃないかなと思います。

コロナがやってきた

退職日の12月、退職日と同時に社会保険を切り替え、代表の報酬を決定し、独立したその日にはすでに中国で新型コロナウィルスが発生していたようです。自分はまだ気づいていません。

当時は営業代行の業者にもちょうど契約が完了したタイミングで、月々のバーンレートも増えたタイミングでした。もっと早くコロナについて知っていれば、とも思いますが、経営戦略は変えず、営業代行に依頼しリードの獲得を進めることにしました。

コロナが日本にやってきたタイミングでしょうか、案件が来なくなりました。非常に良い案件もあったのですが、なかなか難しい状況が続きました。年明けだからかな?と思ったものの、数は少なく、案件が取れない状況が続く...。

コロナ禍が続く今も案件が取れることはなく、契約に基づく支払いもあり、身動きが取れない状況に陥りました。

ギリギリでの調達

起業は受託案件をメインに経営しておりますが、会社としての成長のためにはギリギリでも投資をしたいと考え調達をする方向で動きました。創業融資の方向で進めていましたが難しいようで、調達は難航しました。

ところが、ちょうど区の方で新型コロナウィルス対策の支援融資があり申し込むことに、無事審査に通ることができたのです。 それのおかげもあり、無事コロナ禍の最初の時期を乗り越えることができました。

案件を頂くまで

投資のため会社のバーンレートも上げていきコロナ禍でも会社の成長戦略を考え人員を採用活動も進めていきました。しかし想定外のことの連続で、チームビルディングは中々思うようにすすみませんでした。

投資をした方が良いのか、抑えた方が良いのか選択しなければならず、私は投資する方向を選びました。会社のギリギリまでバーンレートをあげ、戦略的に動き、複数人のチームが出来ました。

戦略を間違い損失をだしてしまったことも多いですが、その損失も大きなリターンとして返ってくることを実感しています。

大きな波もあり小さな波もあって、小さな波の時は自分から波をおこなさいと、波に乗れないような感覚でした。

そして、大めな案件も対応可能な組織へと変化していきました。

教育が組織を大きくする実感

一年間の中で、外注することもありました。しかし持続的な製品開発をすることは大変難しいことを知りました。継続的にお願いすることが難しい事が多々ありました。 外注の場合指示する権限があまりないので、そもそもとスキルを強化していく方向に舵を取る事が難しかった。

そして、社員に対してもそもそも指示を受け入れて頂くことが難しい時もあり、お金を支払っているのにも関わらずコントロールが全くできない状態になり、ただネットサーフィンをし続けるだけで一日が終わってしまうような状況を許容していたこともあります。権限の委譲も本当に任せてスケールできる人でないと、、難しいと知りました。

これではよくないと切り替え、自分のコントロールが効かない事を全て消す戦略を取りました。そして、それによって我慢していたことを全て我慢せず進めることにしました。まるで経営者の暴走です。自分でもそう思いました。

まず不要な管理サービスは全て解約しました。メンバーが欲しいと言って使っていたとしても、自分がいらないと思えば解約しました。そして、従業員の候補探しをしました。これはこれで難航してまして、でも探していると、不思議なことに向こうからやってくるんですね。そうやって仲間は増えていきました。

権限委譲は本当に任せられると思った時だけだと決めていたのでお願いしたいことだけをお願いするという非常にシンプルな体制で始まりました。

そして弊社はもともとリモートワークが多いためシフト制を導入し、ワークライフバランスを実現。スケジュールベースで柔軟な働き方が可能です。

わかりやすい指揮系統と、指示管理をおこない仕事を割り振っていたところ、段々と全体の成長を実感できるようになってきました。それは、自分も含めてでした。権限委譲しているわけではなかったのですが、任せられる安心感もありました。

怖くて指示が出せないということもなく、円滑に指示が出せるようになったことに正直自分でも驚きました。マイクロマネジメントほどではないですが、プロジェクト管理サービスできめ細やかな指示を出し、、どんどん消化してくれる光景は、コロナ禍で全く仕事がなかったあの時にどう指示すればわからなかった頃と比べると大きな変化でした。

そして、何よりもメンバーが課題解決にあたってわからない点が出てきた時には、一つ一つ解説して解決方法を明示してあげることで解決できることが多くなっていき、だんだんとチームパフォーマンスがあがっていったことです。

きめ細やかなプロジェクト管理は、そのまま課題の発見、解決のルーチンと合わさることで会社は円滑に進んで行きました。

コロナに強い組織の作り方

弊社は、withコロナで事業戦略をコロナ禍の初期から進めていました。それもあり、案件の性質もwithコロナだったから生まれた案件が非常に多くあります。

しかし、一つ間違えればバーンレートは一気に飛び越え、資本をショートさせてしまうリスクがある綱渡りな状態がコロナ禍であるように感じます。多くの企業がコロナ禍によってオフィスを解約した中で、私はオフィスを契約しましたし、崖を飛び越えるようなことも多かったです。

コロナ禍でこそ、きめ細やかな経営戦略とプロジェクト管理が、少しずつ会社を成長させる力になっているのではないかと思います。